あいどるまいどる

二次元アイドルと三次元アイドルにぷかぷかする

君にペンライトの花束を

 

 結論から先に書きます。

 

 私は嵐が大好きです。

 アイドルの二宮和也くんが大好きです。

 

 結論は以上です。この時点でもう合わねえなという方はここで読むのをやめていただいて大丈夫です。色々書き連ねていきますが、この結論に最終的に辿り着く独り言になっています。

 

 私はブログを書く時、結論ありきで書き始めます。そしてその結論に至るまでにある程度過程を自分の中で組み立ててから書いていくんですが、今回は「結論は決まっているけど過程が五里霧中」状態なので、自分の中で結論を見失わないために先に結論から申し上げました。

 なるべく結論にちゃんと辿り着けるように過程を書いていくつもりですが、何分パッションで生きているような人間なので…。ちょいちょい軌道修正しながら書いていきたいと思います。

 

 

 一報を聞いた時、ものすごい吐き気に見舞われたことを鮮明に覚えていきます。

 しかもその一報が週刊誌だったんですよね。これ後々にめちゃくちゃ後悔することになるんですけれども。

 

 SNSの海にいて、何も知らなかったとは言いません。記事が上がる度にお腹を痛めていましたし、それに対して吐き出す人たちを見てまた頭を痛めていました。

 人間の脳って自分の思い通りにいかなくて、嫌な記憶ってすごくこびりつくんですよね。同時に、都合よくもあるのでそれを忘れる瞬間もまたあるんですが。いやなもの 見たな…って落ち込んだ2秒後に姿を見て、やっぱり好きだな…ってなるんだから本当に都合よくてちょろいオタクです。

 

 そういうことを何回か繰り返していたんですが、今回は当日夕方に話題に出ているのを目にし、頭が真っ白になりました。

 そんなはずはない、と否定したかった。でも確定的な書かれ方をされている、胸騒ぎが止まらない、もうこれは…と考えている自分がいて、まあもうほんとに、ダメでしたね。1月にあんなに「本人たちの言葉以外は信じない」と胸に刻んだのに、こんなにもいとも簡単に。公式を見るまでのあの数時間、人生で2番目に長い数時間でした。1番目は、1月に経験しています。

 

 吐き気が止まらない中、公式で本人のメッセージを見て、そこで一度全てが止まりました。

 二宮さんが書いている。ああ、これは事実なのか。私の信じるべき言葉だ。

 全部が止まりました。吐き気もモヤモヤも何もかも。ここで全部が腑に落ちてすっきりした、のではないと思います。恐らく、完全な思考停止でした。一旦、脳や体が全ての活動が停止した。キャパオーバーですね。パンクして、そのあと、大きい疑問が2つ浮かびました。

 

 何で今だったんだろう。

 どうして本人から一番じゃなくて、他から先に出ちゃったんだろう。

 

 1点目については、多分もうどのタイミングでも同じ疑問が浮かんでいたでしょう。究極、今年の1月より前でもです。どのタイミングでも納得できなければ納得できないし、同じだと思ってしまえば同じ。そして、たられば論です。なので、この点については置いておきます。

 2点目に関しては…もう正直、怒りしかありません。これ書いてる今でも怒っています。

 「僕たちの言葉だけを信じてください」という言葉を信じました。そして信じていた通り、大事な発表は本人たちの言葉で一番初めに聞くことが出来ました。SNSも始まり、より言葉と存在を近くに感じていた。約1年をかけて築いてきたこの「僕たちの言葉だけを信じてください」を、打ち砕くような展開。本当に、本当にこれだけは許せなかった。

 何事も、本人たちの言葉で一番に聞きたい。伝えたいと思っていることを受け取りたい。たったこれだけのことが今の時世では難しい。その中で嵐は手を尽くして、それを実現させようとしてくれていましたし、実現できていたと思います。けれど、今回それが叶わなかった。要因は色々あるんでしょうが、どういう要因だったとしても結果は「本人の言葉より先に報道が出た」に帰着します。これはずっと変わらない。何年も何十年もここは変わらない。悔しい。めちゃくちゃに悔しいです。信頼が揺らぐことになるのが悔しくてたまらなくて、その日はとりあえずスーパーサイヤ人になっていました。

 

 

 怒りながら、もやもやを抱えながら、でも現実は待ってくれないからなんとか睡眠をとって体調最悪のまま朝を迎えましたが…いや、近年稀に見る大荒れを見ましたね。そりゃそうだろうなとは思いましたけど。朝の状況だけで行くと、1月の時の方がまだ良かったかなと思えるくらい。

 

 一夜明けて、各メディアが報じている様子をなるべく見ないようにしていたので、もうあれからどう報じられていたかは詳しくは知りません。ただ知ろうともしなくても情報が入ってきちゃうのがSNSですね。ほーーーんと思いながらサヨナラバイバイしていきました。好きに呟いても流してもいいというなら、それを遮断するのもまた勝手かなと思いまして。現実世界でその場で殴り飛ばせない分、せめてそれだけは許してほしい。今現在も私のようにサヨナラバイバイの手が止まらない方いるかもしれませんが、情報の取捨選択が出来るのがSNSの強みだと私は思ってますので、それも一つの手段かと。脱線してきたので戻りますね。

 いろんな方のいろんな呟きを見て、本当にいろんな考え方、応援の仕方があるなと改めて感じていたのですが、じゃあ自分はどうだろうと、見つめ直してみました。

 

 二宮さんが嫌いになったか?

 ――いいや、嫌いになっていない。疑問はまだあるし、彼の姿を見てどう思うか分からないけど、嫌悪感等はない。

 嵐のことを信じられなくなったか?

 ――そんなことはない。彼らからもらった言葉、パフォーマンスを通しての感情は全部本物だと信じて疑わない。

 

 じゃあ、この胸に残るこのもやもやは一体なんだというのか。

 これが答えられなかった。

 

 自問自答を繰り返して、二宮さん本人のこと、お相手のこと、一報から朝までの経緯、今回の件自体。ここに対してはもう負の感情はなく、ある程度自分の中で整理がついたと思った。

 だが、一向に体調は良くならない。寝不足だけが原因じゃない。どうしようもなく胸が苦しくなって、こみ上げる吐き気が止まらなかった。いっそ泣けたら良かったのに、なんで泣けないかも分からなくて、分からないことに泣いた。本末転倒すぎる。感情しっちゃかめっちゃかでした。

 

 当初は、言葉が欲しいんだろうと思っていたんですね。二宮さん本人から、ちゃんと説明が欲しいのだと。

 私は二宮和也くんが言葉を発する時がすごく好きで、同じタイプで言葉が好きという分類に櫻井翔くんも入ってくるんですけど、彼とはまた違う。完全なる理詰めと理屈で分かりやすくまっすぐな翔さんに対して、二宮さんが発するのは俯瞰的で、斜に構えて、比喩や言葉選びが独特な、感情論を織り交ぜた理屈。すごく人間じみていて、だけど人間じみているその姿すらある種の偶像なんだろうなと思う、その姿が大好きです。そんな二宮和也くんから言葉をもらえるなら、納得できるんだろうと思っていました。

 

 では、どういう言葉をもらえれば私は納得できたんでしょう。単なる報告なのか、感謝の言葉か、謝罪なのか。

 これもまたたられば論にはなりますが、どういう言葉をもらっても私は納得して、同時に重いものを引きずっていたと思います。これでいいんだ。これじゃなかった。きっとその両方を抱えていた。それをコンサートの場で、なんて一瞬でも考えていたのだから烏滸がましい。公演に足を運ばれた方がもしこれを見てくださっているなら、本当にすみません。コンサートの場はそこにいる人たちの楽しさや幸せが最優先されるべきで、私が納得する言葉をもらうための自己満足の場ではないです。

 二宮さんはファンクラブに入って応援してくれている人に向けてメッセージを出した。それ以上を求めたって、言葉をもらえばもらうほど、こうじゃないああじゃないってなっていくだけなんだろうな、と。あのメッセージには、私が事実を認識し、二宮さんがこれからどうしたいかを確認出来る内容が書いてありました。じゃあもう、私にはそれ以上彼に求めることはない。言葉を尽くしてほしい方もいるかと思いますが、私が二宮さんから言葉をもらいたいという気持ちは薄れました。

 

 

 しかし晴れないもやもや。

 ずっとつかえていたしこりは、「5×20+」が更新されたことをきっかけに、瓦解していきました。

 

 あの時の更新、本当に嬉しかったです。今までも嬉しかったんですが、本当に飛び上がるくらい嬉しかった。それから続けて、SNSの更新。更新を見に行く指がずっと震えていました。

 今までのツアー中の様子だったり、JET STORMでの様子だったり、「今」現在の嵐の様子ではないですが、そこには5人が映っている。そして、更新と共に感謝の言葉や意気込みをメンバーが書いてくれている。私が見ていた、私が思う「嵐」の姿がそこにありました。

 ずっと楽しみにしていたVSも、本当に楽しくて楽しくて仕方なかったです。テレビの前できゃあきゃあ言ったり笑い転げたりしてる自分がいて、後でそれを振り返って、ああこれだったのか、とそこでやっとちゃんと泣けました。

 

 バラエティを楽しんで楽しませてくれる嵐が好きで、5人だと言い続ける嵐が好きで、笑いあっている嵐が好きで、何よりもステージ上で歌って踊って、アイドルとしてパフォーマンスする嵐が大好きです。

 私は嵐が、今もなお嵐であるという証明が欲しかったのだと思います。

 

 彼らが今どういう気持ちなのか、どういった方向を向いているかは本当の意味では分かりません。彼らの言葉を超えたところの考えなんて、憶測で。何年も何十年も応援してきたという人、二宮担だという人、他のメンバー担当だという人。いろんな人の考えがあって、私もその中の一人にしか過ぎないのですが、でも私は嵐じゃない。本人じゃない限り、気持ちなんて分からなくて、推し量るものでしかない。いろんな人の考えに、呑まれすぎていたのかな、と思いました。

 嵐というものは変化しながらも一貫するところは一貫していて、私が「嵐はもう嵐じゃない」と思ったら、それは一貫しているところが大きく崩れるか、私の見方が変わってしまったかのどちらかです。現時点で前者でも後者でもなく、私は「私の大好きな嵐だ」と思いましたし、「私の大好きな二宮和也くんだ」と思っています。

 

 夢の世界を見せてくれる嵐、まだ見ぬ世界へ連れて行ってくれる嵐が大好きです。そんな嵐に二宮和也くんはいて、彼もまた嵐を構成する大きな要素であると思っています。

 これが崩れない限り、私はアイドルの二宮和也くんを応援し続けるし、嵐を大好きだと胸を張って言い続けると思います。二宮和也くんはずっと変わらないでいると言ってくれたので、私もアイドルの彼に、彼らに夢を見続けたい。

 

 

 私は二宮くんに感謝と幸せの願いを込めて、直接花束を渡すことは出来ません。ファンとしての私が今、アイドルの嵐、アイドルの二宮和也くんに出来ることといえば、その姿にペンライトを向け続けることだけです。

 ペンライトの花束を掲げ、大好きです、幸せにしてくれてありがとう、あなたたちも幸せになりますように、とそこに想いを託すことが唯一で、それが出来ることにまた幸せを感じています。

 

 二宮和也くん。アイドルという職業を選び続けてくれてありがとう。

 これからもいっぱいいっぱい、ペンライトを振らせてください。

 

 

 

 

 

 最後にいっこいいですか?

 隣にさみしいと言っている人がいるみたいなので、これからもうざがられるくらい構ってくれると嬉しいです。