あいどるまいどる

二次元アイドルと三次元アイドルにぷかぷかする

何回でもラブレターを

 

 

 大野智くんを「自担」と呼ぶ理由について語りたい。

 

 

 そもそもの話、大野智くんと出会うまで、私の中には「自担」という概念がなかった。

 これはジャニーズが好きなオタク、所謂「ジャニオタ」の文化に私が触れてこなかったからであるが、ではその文化をまったく知らなかったか?と問われれば、そうではない。「ジャニオタ」、そして「自担」という概念はそこら中に散らばっていた。

 

 初めて「ジャニーズ」という存在を認識したのは十年以上前だ。

 クラスメイトのA子ちゃんが「最近カトゥーンにハマっているの」と話をしたところから始まる。カトゥーン。この表記に違和感を覚える方が大多数だと思うが、当時の私の最初の脳内変換をそのまま記している。その頃、テレビで見るものと言えばアニメとたまにドラマだった私は、「カトゥーン」と言われてパッと浮かんだものが「カートゥーンネットワーク」だったのである。月額で見れる配信チャンネルの一つだ。いやまあ、私も好きだし見てるけど。A子ちゃん、そういうキャラだっけ?何も反応出来ないでいる私に、A子ちゃんは「カトゥーン」がいかにカッコいいかを語ってくれた。話を聞いているうちに、「カトゥーン」が実在の人物であり、男性アイドルグループであることを知る。なるほど、そういう人たちがいるのか。そういう人たちのことを、「ジャニーズ」と言うのか。「カトゥーン」、もとい「KATーTUN」はA子ちゃんが熱弁していた通り、本当にカッコよかった。好きだと言う、気持ちも分かった。

 

 それからすぐに、「嵐」に触れるきっかけがくる。「花より男子」である。

 ドラマのストーリーもさることながら、私は道明寺司というキャラクターにのめり込んだ。ドラマを見てから原作の漫画を読んだが、漫画を読んだ後にドラマの道明寺司を見ると、もう本当にそこに「道明寺司」がいるとしか思えなくて、この「道明寺司」の人が好きだ、カッコいい、と初めて思った。

 松本潤くん。

 松本潤くんが所属するグループが、「嵐」

 十二年前に「嵐」の存在を知って、その頃から私は松本潤くんの顔が好きだった。否、今でも大好きだ。松本潤くんの顔がいかに好きかという話は、またの機会にしよう。

 私が「嵐」のメンバーの顔と名前を覚えるまでには、そう時間はかからなかった。「ジャニーズの中で好きなのは?」という問いに「嵐かな」と答えるのも、「嵐の曲で好きなものは?」という問いに何曲かすぐに挙げるのもだ。だがしかし、決定的に「ハマって」はいなかったと思う。「嵐」が好きではあったが、彼らのファンだと公言するようになったのは随分と後の話である。

 

 ここでもう白状しておきたいのだが、私は「魔王」落ちの大野担ではない。これは私がそもそもドラマを見るよりもアニメを見ることに時間を費やしていたからであり、他のメンバーのドラマや映画も見れていないものが多いのだが、殊更大野智くんに関しては、演技のイメージがあまりなかった。

 そしてここまで読んでいる方にはなんとなく察せられているかもしれないが、私は「嵐」を認知してから「大野智」を知っている。つまりは彼をきっかけをグループのファンになっているわけではなく、グループをきっかけに彼を好きになっている。この過程は今現在、私が「大野智」という存在をどう捉えているかという理由になっていく。

 

 

 さて、「嵐」の存在を知り、なんとなく彼らの存在を認知し、なんとなく彼らのことを好きだという状態が数年続いた私は、「嵐」のことを深く知るきっかけを得る。

 2015年1月、「嵐にしやがれ」内のことである。

 

003811.hatenablog.jp

 

 上記の記事は私が「アイドル」というジャンルにいかにハマり、そして「アイドル」の「嵐」にいかにハマったのかという経緯を書きなぐったものだ。長ったらしい経緯を要約するとこうなる。

 

 「嵐、かわいくね?」

 

 「かわいい」という形容詞、多くは女性もしくは幼年に使われるものであり、成人男性、三十も半ばを過ぎた男性に使用する形容詞ではない。という理屈よりも先に、「かわいくね?」が出た。理屈づけて考えるよりも出たその感情を、気持ちを、「好き」以外になんと表現すべきか。その答えは今も分からないままなので、私は彼らを「好き」だと言い続けるわけだが、あの瞬間の感情は忘れられない。

 

 

 「かわいくね?」と気づいた正月、私はもう一つ重要な事実に気づく。

 

 私、嵐のことなんも知らん。

 

 「嵐」の存在を知ってから約八年。彼らのことを「好き」だと思っていたが、蓋を開けてみれば何も知らなかった。顔と名前が一致する。曲が分かる。そうだけど、そうじゃない。「嵐」が何たるかを私は知らなかったのだ。愕然とした。とりあえず曲をちゃんと聴こう、話はそれからだ。そう思い立ち、CDをレンタルして改めて嵐の曲を聴いて、「嵐」と向き合って、驚いた。
 
  この声の人、誰だ?

 

 2010年は「嵐めっちゃ見るな~このあたりの曲好きだな~」と思うことの多い1年であったが(この時期ドラマメドレーしていたのだから当たり前っちゃ当たり前)、中でも一番好きだった「Monster」の入りを聴いて、えっ、となった。今の声、誰だ?もう一度頭から再生する。誰だ…松潤や翔くんはもっと低いし、相葉くんは声が分かりやすい。ニノも多分違う。え、じゃあ大野くん?この声、大野くん?にわかには信じられなかったが、もうどう考えてもそうだ。大野くん、こんな歌上手かったの?びっくりして、それから私の「好きだった」嵐の曲を聴いて、うわあ、と感動した。ぼんやりとしていた「嵐」が、ようやく輪郭を持った瞬間だった。

 

 私の知らなかった「大野くん」はめちゃくちゃに歌が上手くて、はちゃめちゃにダンスが上手くて、むちゃくちゃに絵が上手くて、どちゃくそに演技が上手かった。なんだこの人。なんで今まで私、逆にこの人を知らずに生きてきたんだ?これで字も上手かったらやべーなと思った次の日に字も上手いことを知って爆笑した。もう笑うしかない。

 よく、「オタクとしての自我が芽生えるとそれより前の記憶を失くす」と言われるが、今本当に、どう頑張っても、知らずにいた「大野くん」を思い出せない。他のメンバーはファンになってから「印象が変わった」部分があるのだが、「大野くん」は私の目の前に突然現れたと言ってもいい。そのくらいのギャップ、衝撃、世界の変わりようだった。

 

 「大野くん」に驚いているうちに、嵐のことを知る過程で自然と彼に目がいっている自分の存在に気づいた。これは間違いなくそうだ、「好き」だという感情だ。

 大野智くんが好きだ。

 「嵐」を認知して八年目、「嵐」を知って四日目で、私は大野智くんを「自担」だと公言することとなった。

 

 

 人が人を好きになるのに理由はいらない。どこぞの誰かが言った、誰にでも共通する言葉だ。

 私は大野智くんのどこが好きかと聞かれたら、ものすごく答えに困る。好きなところが思い当たらない。これは違う。好きなところがありすぎる。これはまあ、当たってるっちゃ当たっている。だがもう少し正確に言うなら、「『好き』が先行したから、理由は全て後に来る」のだ。

 大野智くんの伸びやかな歌声が好きだ。しなやかでキレのあるダンスが好きだ。繊細なタッチで創り上げる世界観が好きだ。美しく品のある字が好きだ。役に入り込んで人格までをも作る演技が好きだ。少し眠そうな顔、くしゃくしゃな泣き顔、張り詰めたような真剣な顔、そして幸せがいっぱい詰まった笑顔が好きだ。嵐のメンバーから愛されている大野智くんが好きで、ファンのことを大事にしてくれる大野智くんが好きだ。

 では、それらが理由となって大野智くんが好きなのか。今挙げたのは彼を構成するもので、どれも彼であり、やはりこれだけでは足りない。どれだけ挙げても、私が彼を「好き」だと思う理由には事足りないのだ。挙げた事柄、その全てを最初のスタートの時点で知ったわけじゃないし、知らないことがあっても彼が好きだった。そして、今もなお、「好き」は更新され続け、理由は全て後付けされている。

 

 私はこれから先も、大野智くんを好きな理由を答えられないままでいるのだろう。

 それでも私は、だからこそ私は、大野智くんを「好き」だと言い続ける。

 大野智くんは、「自担」です。

 

 

 

 私が「嵐」を知ってから、まもなく五年が過ぎようとしている。

 

 先日、ニ十周年を迎えた嵐。彼らを知って五年なんて、新参のしの字もクリアしてない。途中乗車と考えるなら、一駅目を通過したところだろうか。

 だけど私にとってはものすごく濃く、ものすごく楽しい時間だった。「大野くん」が目の前に現れてから毎日が楽しくて仕方がなかったし、嵐を好きである自分は今幸せだと胸を張って言える。そして「大野くん」に出会えたこと、それは紛れもなく、「嵐」という存在がそこにいたおかげだと思っている。

 

 アイドルである大野智くんが好きだ。アイドルっぽくないとよく言われているし彼も自らそう口にすることもあるが、私は大野智くんはアイドルだと思う。大野智くんが今もアイドルである理由に、「嵐」の存在は切って切り離せないものだと、そう思っている。

 

 

 大野智くん。

 本来なら交わることのなかったあなたの人生の一端を見ることが出来て、それを応援することが出来て、幸せを願うことが出来て、幸せです。「大野くん」に出会えたことを、誇りに思います。

 人生の半分以上もアイドルでいてくれて、「嵐」でいてくれて、本当にありがとう。

 

 理由の定められない「好き」。

 三十九歳のあなたにも変わらぬ「好き」を。