物語構成から見る嵐のいろはにほへと
平成最後の四月。
平成最後の春の嵐。
先日、四月だというのに雪が降るという、まさに記録に残るような不思議な現象も起こり、冬と春を行ったり来たりな平成最後ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は絶賛風邪を引いています。さむいね!
さて、年号が変わるまでにはまだ半月ほどあるわけですが、嵐ファンにとってはもうすぐ大きなイベントが待っています。
「5×20」ツアー後半戦ですね。本日、グッズのプレ販売も行われ、嵐のこだわりと愛と感謝がたくさんつまったグッズが世に出て行く運びとなりました。いやーーすごい。なにあれ。全部買っちゃうよ。
ツアー始まるなあ、今までいろんなところで嵐へパッション飛ばしてきたなあ、と記事を読み返していたんですけれども、ふと一つ記事が目に留まりました。
「物語構成から見る嵐のいろはにほへと」
「みんな自分の布教したいジャンルを布教しよう!」という、所謂『オタクプレゼン』でのプレゼン資料として走り書きしたものでした。
去年12月に書いたものだったんですが、なんだか安心するというか、今このタイミングで見てみると、「自分って変わらないなあ」と改めて感じる内容でした。
ネットの隅で細々と書いてる、そして嵐ファンとしてはまだまだ若葉マークのオタクが書いた文章ですが、嵐を知らない人が少しでも興味を持ってくれたらいいな!とパッションだけは詰めています。よーしパパ載せちゃうぞ~!
以下、プレゼン全文をちょちょっと加筆修正したものになります。
ちょっぴり長いですが、ゆっくりしていってね。
【物語構成から見る嵐のいろはにほへと】
はじめまして。山風研究所、解読班のもちおりと申します。
本日は私どもの研究題材である「嵐」にご興味のある方も、そうでない方も、このような場にお集まりいただき、貴重な時間を頂戴致しまして、大変嬉しく思います。解読班として皆様に少しでも「嵐」について理解を深めていただけたら、幸いでございます。至らぬ点は多々あると思いますが、最後までどうぞよろしくお願い致します。
さて、今回ご紹介させていただきますのは、ジャニーズ事務所のアイドルグループ、「嵐」でございます。
「嵐」、一度は目にしたり耳にしたりあることのある、という認識にて、グループの説明は簡単にさせていただきます。
「嵐」は1999年にデビューをし、今年で満19周年、現在「5×20」という20周年目突入を祝う五大ドームツアーを行っており、多くの男性アイドルグループを有するジャニーズ事務所の中でも、所謂「中堅」の立ち位置を担っております。
「嵐」は相葉雅紀、松本潤、二宮和也、大野智、櫻井翔のメンバー5人で構成されております。リーダーを務めるは、最年長大野智でございます。今の紹介を聞いて、先程の読み上げ順に疑問を持たれた方も中にはいらっしゃったかもしれません。もちろん順番にも意味がございます。後ほどご説明差し上げます。
言い忘れておりました。
私が本日皆様にお話し申し上げる内容については、全て後に繋がるものしかお話致しません。
お聞き逃しのないよう、ご注意くださいませ。
閑話休題、話を戻しましょう。
20年ほどアイドルをやってきている「嵐」については、その活躍の幅から様々な影響が及ぼされており、私の所属する山風研究所におきましては日々「嵐」の活動内容についての研究を行っているわけですが、その中でも解読班は嵐の楽曲の歌詞についての研究が盛んに行われております。
「嵐」の楽曲、と聞くと皆様は何を思い浮かべますでしょうか。走り出して明日を迎えに行くものか、はたまた百年先も愛を誓うものか。やはり一番有名なものはグループ名にもなっております、デビュー曲「A・RA・SHI」ではないでしょうか。
サビの振付であったり、スケスケの衣装であったりが印象としては強いのではないかと思いますが、それらと並んで、曲の冒頭から流れます櫻井翔のラップのイメージ、皆様お持ちではないでしょうか。
デビュー曲「A・RA・SHI」に始まり、櫻井翔は「嵐」の楽曲におけるラップを担当しています。そしてラップの歌唱を担当すると同時に、彼自身もラップ詞を書き、自身のソロ曲、あるいはグループの楽曲へと華を添えております。
他のアーティストについてもこれは言えることですが、楽曲における歌詞とは、その楽曲の世界観、あるいはメッセージを伝えるものとしてしたためられることが多いでしょう。そして櫻井翔の書くラップ詞もまた、メッセージ性、ひいては「嵐」という物語を書き綴っているものとなっています。
「嵐」の物語とは何か。アイドルの物語とは何なのか。物語とするからには、櫻井翔のラップ詞は物語構成の体を保っていなければなりません。たかがアイドルが物語を果たしてどう語るのか。
前置きが長くなりましたが、本日は「物語構成から見る嵐のいろはにほへと」と題しまして、「嵐」の歩む物語を櫻井翔がどう描いているのか、そのさわりだけでも皆様にお届け出来たらと思います。
さて一口に物語と申しましても、昨今多様な物語に溢れておりますが、物語を始めるにあたって、何はともあれ初めに必要なもの、皆様何だと思いますか?
プロット。大事です。私はあまり書いたことがありませんが。
アイデア。これも大事です。私もいつも探し求めているものです。
執筆環境。大事でしょうね。それでいくと私のPC周りはゴミだらけという最悪な環境ですが、そのどれも関係のないことですね。
今挙げたものはどれも重要なものでありますが、物語を始めるにあたっては、最も重要なものが挙げられていません。なんでしょう。それは「書き出し」です。
物語の「書き出し」。これは作者が読み手に対する、初めましての挨拶です。これによって物語は始まり、物語の方向性が決まると言っても過言ではございません。私が先程皆様の前で最初になんとご挨拶したか、覚えていらっしゃいますか?
…「はじめまして、山風研究所解読班のもちおりと申します」。
どれほどの方が今の挨拶を覚えていたでしょうか。当たり障りのない挨拶。これは自己紹介としては及第点かもしれませんが、物語の書き出しとしてみると、まったく印象を与えることが出来ない、零点の書き出しです。ここから膨らませること、ましてや強烈な印象を与える事なんて出来ないでしょう。物語の「書き出し」、まさに物語の生命線とも言えるワードとなりうるものです。
では、「嵐」の物語の書き出しはなんだったのでしょうか。
櫻井翔はデビュー曲「A・RA・SHI」よりラップを担当していると申し上げましたが、彼がラップ詞を書き始めたのはこのデビュー曲からではなく、嵐2作目となるアルバム「HERE WE GO!」より、「ALL or NOTHING Ver.1.02」です。こちらは嵐のコンサートツアータイトルにもなりました。
ほぼ全編ラップ詞のこちらの楽曲、書き出しがなんだったのかと申しますと、
ジャニーズ代表 嵐 is in da house yo
ちょっとパンチが強すぎる自己紹介ですよね。私の「初めましてもちおりです」と比較すると5億倍くらいパンチがあると思います。
「is in da house yo」はヒップホップで使われるスラングで、「〇〇参上!」の意です。「ヨォ!ジャニーズ代表嵐参上だぜ!イェア!」で始まる物語、想像つきますか?正直何言ってんだ、という感想になるかと思いますし、実際「何言ってんだ」という見方が強かったのではないかと思います。
華々しいデビューをし、今でこそ皆様の目に留まったことのある嵐ですが、デビューをしてから数年、いえ7~8年ほどは燻ぶっていました。ドームツアーなんて夢のまた夢。彼らが最初のドーム公演を行うのはここからさらに5年かかります。そんな彼らが「ジャニーズ代表」。大口を叩くにも程があります。
しかし、どうでしょうか。今現在この「ジャニーズ代表」という書き出しを改めて見ると、今この現状になることを予定していたかのようなフレーズです。嵐が物語上での存在であり、現状を中心に置いて遡って書き出しに持ってくるフレーズとしては有り得る範囲でしょう。しかし嵐という物語は現在進行形で綴られるものであり、ほぼまっさらなページの上に、櫻井翔は最初にこれを書いたわけですね。パンチが強い、これに尽きると思います。
同年、「HERE WE GO!」収録の「Theme of ARASHI」にはこのようなフレーズもあります。
so so partyで騒ぎ出す人も
とうとう 周りの輪を乱す程に
嵐 探し shout out しっぱなし
ただし辺り ガラ―ッとするはなし太陽光に被る雲
毎十秒近づくスロー
“確かな駆け出し”果てなき雨降らし
そして奏でる 五人囃子それは雨よけワイパー壊すぐらいだ
地団駄踏んで 皆リタイヤ
世紀ミレニアム 股にかけ
長い夜明けて 朝になれそうさ 確かに 青二才
しかし 五人と共に さらおう時代
小さい予報士達も去ってすぐ(yell it out)
俺ら嵐がやってくる
彼らのグループ名は「嵐」、これは一般的な意味では天候を表す言葉であり、櫻井翔のラップでは嵐というグループを天候になぞらえることが多々あります。その走りがこの楽曲にちりばめられています。
デビュー時のインタビューで相葉雅紀は「世界中に嵐を巻き起こします」と、嵐のグループ名の持つ意味を答えています。嵐とは、どうしようもなく人々を巻き込んで、どうしようもなく過ぎ去っていくもの。そう宣言するにはあまりに早く、しかしながら物語序盤とすれば非常に印象深いものです。
さて少し飛びまして2004年、嵐は5周年を迎えます。「いざッ、NOW」ツアーではその5周年を迎えることを祝しておりましたが、こちらでは「La tormenta 2004」、未音源となってます櫻井翔ソロ「UNTI UNTI」をご紹介させていただきます。
「La tormenta 2004」はメンバー紹介曲となっており、次に出てくるメンバーの紹介をメンバーがラップで歌うという構図になっており、5人分の紹介に加え、グループの紹介もされております。
嵐が山が上 下に置く風
A・M・N・O・S神風
確かな駆け出し 果てなき雨降らし
冒頭、相葉雅紀、松本潤、二宮和也、大野智、櫻井翔のメンバー5人で構成されているとご紹介申し上げましたが、こちらの順番で紹介させていただいております。この順番、少し面白いのが、AMNOSとアルファベット表記なのにも関わらず、日本人らしく苗字で並べられています。しかしそれは次の「神風」で答えを出しており、日本の男性アイドルグループが世界中に嵐を巻き起こしていく、それを簡潔かつ的確に表現しているのかと推測しています。
また「確かな駆け出し 果てなき雨降らし」というフレーズは「Theme of ARASHI」にも使用されています。こういったフレーズの繰り返し、引用、言い換えは櫻井翔のラップで度々登場します。そしてこれらのフレーズの配置はもちろん、意図を持ったものであり、私どもはこれらを「伏線」として位置づけております。
さらに、同年の櫻井翔ソロ「UNTI UNTI」では、櫻井翔はこのように綴っています。
また階段登る 鳥がはばたくように
川の流れさからう 人ごみかきわけ
この末期症状 花咲かす きちんと
一輪の
真っ白のキャンバスに描く
さらにでかく
まだ回る地球は 周り変わりゆく街なみ
もう止まらず(最速で奪い取る)
空高く(アイドルがどれほどか見せてやるよ)
アイドルとして売れる、アイドルとしてトップになる、数値としては基準がいくつかありますが、逆にいくつもあることで、これと定義するのは困難かと思います。けれど「奪い取る」ものとして櫻井翔が見つめていたその先には、目指すべき上があったのだと思います。
あーもういい外野黙ってな
そこの飲み屋でIZM語ってな
まるで足んねーな 立てるアンテナ
君ら見てるの
それはあさってだってんだ
How many girls did you get?
俺はこんだけ人数いるぜ
たかがアイドル風情がタイトル奪い取る
最速で奪い取る
アイドルなんてと鼻で笑われ、燻ぶった状態であった嵐がバカにされたことも少なくありませんでした。たかがアイドルが物語を語る。その行為自体が笑われていたのです。笑って見ている群衆を櫻井翔は「外野」と位置づけし、黙ってろ、今に見ておけと言っていたわけですね。この反骨精神も今となっては彼自身が「若気の至り」としていますが、若気の至りを尽くす嵐は徐々に徐々にではありますが、伸びを見せることとなります。
怒涛の勢いを見せたのが2006年~2008年にかけて。
2006年はアジアツアーを行い、ツアーファイナルでは初の東京ドーム公演を行いました。また、2008年もアジアツアーを行っており、その皮切りに国立競技場での公演を行っております。
楽曲のセールスも飛躍的に伸び、嵐という名が世に知れ渡っていったこの2年での大きな伏線として2006年「COOL&SOUL」、2008年「Re(mark)able」、同年櫻井翔ソロ「Hip Pop Boogie」を続けてご紹介させていただきます。
2006年、アジアツアー発表時に嵐は記者会見を行っておりますが、「COOL&SOUL」はその記者会見風景を再現した演出となっており、マイクを通した宣言としてファンに向けて語ってきます。
五人で奏でるのは HIP HOP
じゃなく真似し難い様な HIPなPOP right?
そして幕開け第二章 似せてみようならそれは第二号
そう未開拓地 意外にも 未完の大器を再起動
物語として二章を迎えたことをはっきりと宣言しており、嵐はこの時点で未完成です。ここはゴールではないこと、あくまで中間地点、物語としてはまだまだでした。
俺らにまず付いてきな 風たちがこっち向いてきた
頬に気づくとほら水滴が 強い風が背から吹いてきた
水滴じゃなくなってくぞ 想定しな最悪のケースを
手組もうが吹き飛ばす程の強風
(未知との遭遇)(君との暴風雨)
だから俺にしがみつきなさい 守り通すヤツらだと曰く付き
“嵐探し辺り騒がしい その凄まじい騒ぎまさに嵐”
自信に満ち溢れているように感じる歌詞ですが、それだけのことをやってきた自信が既に彼らの中にはあり、これからさらに勢いづいていく、そういう未来が見える、その物語が出来てくると語ってくれています。
“嵐探し辺り騒がしい その凄まじい騒ぎまさに嵐”につきまして、
山風合わせ 巻き起こると皆大慌て
いま居合わせる 君幸せ
この歴史を後世に語れるだろう?
アマテラスの頃から 俺らは地上の遥か外側
下界に向けて吐き出す言霊
もう止まない雨が 長く続いたこの世が明けた
君が忘れがちなのであれば いちいち記憶に残る種蒔く
そう俺らがあくまでタイトなパイオニアya so cute 二番煎じ
記憶に残る種とは伏線のことであり、この伏線を回収するということすなわち、行動・結果としてそれは回収されていることを意味します。着実に物語は進み、嵐の作る歴史は語り継がれるものとなっています。
“記憶に残る種”をその時に居合わせたどれほどの人が気づいたのか、それは推測しうる範囲ではありませんが、伏線であると明言したことで、嵐の物語性を確固たるものとしました。
2008年、国立で披露された「Re(mark)able」。
初披露が国立だったこともあり、場所になぞらえつつ、アジアツアーへと再び旅立つ意気込みと宣言を行っています。
とんでもなく甘い気象予報 曰く俺らは異常気象
「Re(mark)able」におけるラップ詞の冒頭ですが、キレのある歌詞だと解釈しています。
それまで横文字が多かった先輩グループを見てきた自分たちに与えられたものが漢字一文字だったのを知った時の思春期の少年の心境たるや、たまったものではなかっただろうと思いますが、よりにもよって「嵐」です。天の災害と書いて天災です。そんな大層な名前を、と思いがあったでしょうが、もうこの時点では、そんな大層な名前をいただいていいんですか?という一種の煽りのようなものを感じます。なんせ、彼らはもう「嵐」となっているのですから。
「Re(mark)able」において最も印象的なのが、櫻井翔がセリフのように残す
研いだ爪隠し牙をむく
能ある鷹は爪を隠すというのは非常に有名な話ではございますが、有名なため、鷹が研いで鋭くなったその爪を隠しているのは周知の事実になっています。だから研いだ爪に対しての対策など、既に考えられているわけです。
ですが鷹が牙を隠し持っていたなど、誰が予想出来ましょうか。嵐がじわじわと力をつけていたことは見えていたことかもしれませんが、数年で急激な勢いを見せることは予想し得ませんでした。歯を見せて笑うことの多いアイドルが「牙をむく」というのは、なかなかに皮肉のこもったラップ詞で、それでいて清々しさすら覚えるほどの事実上の勝利宣言でした。
さて「宣言」が続く2曲をご紹介しましたが、「Re(mark)able」と同年の櫻井翔ソロ「Hip Pop Boogie」、こちらは第二章を綴る櫻井翔ラップ詞の、集大成となっております。
Hey!Hey!俺ら山風の登場
高嶺の方向 向けてまた攻防
結果残しつつ未だまだ放蕩息子奏でる"あなた方"孝行
ここまで櫻井翔の綴るラップ詞に短時間で触れてくださった皆様方には、引用部分、オマージュ部分、大方予想がつきやすいかと思います。今まで物語を読んでくれている読者、つまりファンに向けたものであると表現しているのが「放蕩息子奏でる"あなた方"孝行」なのですが、飛躍的に知名度が上がった2008年の状況をもってしても、櫻井翔にとっては支えてくれたファンには返し切れていないとしている、一見穏やかながらも野心を残す詞が印象的です。
Jazz band,Hip Hop取り込んでいく
是こそご存知のHipなPop
"音と言葉つむぎ描く芸術"
いままでこれからもこのメンツです
このメンツで 届けるぜ
歴史のページをいまめくれ
時代 is mine
未来 is mine
アマテラス照らす sunshine
大卒のアイドルがタイトルを奪い取る
マイク持ちペン持ちタイトルを奪い取る
hip-pop beat yo
ステージ上終身雇用
アイドルなんてと鼻で笑われ、燻ぶった状態であった嵐をバカにされ、たかがアイドル風情に何が出来るのだと言われ続けてきた櫻井翔、ひいては嵐は常に「アイドルとはなんたるか」「アイドルとはどうあるべきか」について向き合ってきました。
「ステージ上終身雇用」と綴っていますが、アイドルに終身雇用など、物語に永遠など存在するのでしょうか。書き始めたからには、物語は終わりに向かって進むもの。その物語に読者はどう向かうべきなのでしょうか。
温室の雑草がマイク持つRAP SONG
"MY LIFE IS MY MESSAGE"
娯楽として消費される対象にはありとあらゆるものがありますが、「アイドル」を消費する私たちはその「生き様」を消費しています。その業の深さをどう受け止めるかは人それぞれだと思いますが、「生き様こそがメッセージ」なのだと櫻井翔というアイドルは答えを返してくれています。
物語には必ず終わりはございますが、終わるために物語はあるわけではないと、そう声を大にして主張したいと思います。
さてここまでお話させていただきましたが、初めに申し上げました通り、紹介しました嵐の物語はほんのさわりに過ぎません。今回紹介させていただいた後の年にも櫻井翔は伏線を残し、そして回収を続けております。
2006年での「COOL&SOUL」で「第二章」が幕開けたと宣言されておりますが、実はまだ「第三章」の幕開けは宣言されていないという事実から、私どもも嵐の物語が今現在どの位置まで来ているのか、推測しきれていないのです。
見えない未来。
先の読めないページ。
今からでも遅くありません。嵐という物語の新たな読者を、私どもは常に歓迎いたします。
ご清聴ありがとうございました。
……という内容でした。
嵐ファンの方々にとっては今さらじゃ~ん!って言いたくなる内容だったかと思います。
そうです。外部向けに書いてるだけであって、ファンにとっては今さらで、そして当たり前のように嵐ファンは「嵐」を物語として消費しています。
アイドル嵐を応援しておきながら「アイドルとは永遠ではない」と言ってしまっていて、実際自分のこの発言は約一か月後に自分に向かってブーメランのごとく刺さってくる。
……わけですが、もう一つ。ブーメランは言葉を乗っけてきてくれていました。
「第三章の幕開けは宣言されていない」
活動休止の発表があったあの日、全ての時が止まったように感じました。今でも漠然とした不安や寂しさに襲われて、泣きたくなる時があります。
でも「一旦休むだけ」であって、「第三章の幕開けは宣言されていない」んですよね。「嵐」という物語は幕を閉じるどころか、幕を開けていない章があるんです。彼らは、一度歩みを止めただけ。櫻井翔くんは、一度ペンを置くだけ。再びペンを執ると、そう信じています。
「嵐」という物語の読者で在り続けたい。
いろはにほへとの先には言葉が続くと、夢を見ています。